森 修一(もり しゅういち)
2008/11/19更新
◆馬本の発表資料等
2008年10月26日 日本の英学200年記念合同大会(日本英学史学会第45回全国大会・日本英語教育史学会第24回全国大会)(長崎大学)
「森 修一と庄原英学校」[スライド]
2006年7月23日 日本英語教育史学会第195回月例研究会(蕨市中央公民館)
「森 修一『ニュー ナショナル
リードル獨案内』と庄原英学校」[スライド]
◆略年譜
1861(文久元)年 庄原に生まれる
1880(明治13)年頃 上京し、漢学者として有名な蒲生重章(がもう しげあきら)氏に就いて学ぶ(*1)
1882(明治15)年 大阪中学校(後の第三高等学校)に在籍中の渡邊義一に随行し、神戸を訪問(*2)
1884(明治17)年 庄原英学校創設される。翌1885(明治18)年授業開始。
1886(明治19)年
(4月23日)庄原英学校関係者記念撮影・前列左端(*3)
(12月)『正則ニューナショナル第一リードル獨案内』(出版・吉岡平助)
(12月)『正則ニューナショナル第二リードル獨案内』(出版・吉岡平助)
1887(明治20)年
(7月)『正則ニューナショナル第三リードル獨案内』(壱・弐)(出版・吉岡平助)
(7月)『正則ロングマンインファント獨案内』(出版・吉岡平助)
1888(明治21)年
(2月)『正則ニューナショナル第三リードル獨案内』(合本)(出版・吉岡平助)
1892(明治25)年 庄原英学校閉鎖される。
1931(昭和6)年 満州 松樹鎮で死去
[年譜註]
*1 田部家蔵「庄原英学校記念図書館設立趣意書」(寺田1999: 47-50)には、「明治十五年前後森修三(ママ)、近藤義城の両氏上京、漢学者として有名なる蒲生某氏に就いて学ぶ」と記され、伊藤家文書「庄原英学校」(寺田1999:
191-193)
には、「明治十三年の頃、板倉正身、森修一、近藤義城の三氏上京、漢学者として有名な蒲生重意(ママ)に就いて学ぶあり」と記されている。
なお、蒲生重章に関しては、内山(2004,
2005)の論考、およびPetrus氏によるブログ「漢学感覚」を参照。
(「漢学感覚」URLは、http://ameblo.jp/k2600nen/day-20080429.html)
*2 渡邊義一(1967(慶應3)年の生まれ。渡邊玄丹(礼三・適塾に学んだ蘭方医)の甥、後養子)が大阪中学校(『大阪中学校一覧』)に在学中の明治15年、玄丹氏に送った計算書によると、「11月1日、神戸区学校薬舗学校ノ規則聞合セノタメ、金2円、森修一ト共ニ行キタリ固テ2人」とある。(寺田1999: p.104)
*3 寺田(1999: p.274)
◆寺田芳徳『日本英学発達史の基礎研究(上巻)』(溪水社, 1999)より
「森 修一」庄原の人。幼少時より渡邊玄丹に仕え、渡邊義一に従い英語を学ぶ(*1)。庄原英学校へも通い(*2) 向学心に富む。当時渡邊家の奉公人には吉岡平助(*3)もあり、それぞれ将来独立の基礎を培った。吉岡は後に大阪へ出て「寶文館書店」を創始経営し、東京へも進出して本邦の出版界に大を成した。森は庄原英学校の英学修業を元手に『ナショナル・リーダー独案内』各冊を著し、後年は通訳官として活躍、英学史の研究者には今も知名の人である。庄原で英学校のために開店した森書店は、明治31年(1898)広島県立三次中学校の開校に伴い三次町に移転し(*4)、甥の手により「森盛文堂書店」として隆盛に向い、三次・庄原地域の教育・文化・社会に寄与してきたと言えよう。(寺田1999: pp.281-282)
[註]*1 年齢は森修一が6歳年長。渡邊義一に学んだのではなく、共に学んだか?
*2 教えるために通ったのではないか?
*3 吉岡平助については、「森琴石.com」上の「吉岡平助」の項にて調査が進められている。
*4 三次に支店を出した後も、庄原で書店は続いていた。
◆森 修一の著作
◆森修一氏の訳著書は以下の5点。出版はすべて吉岡平助氏。
1.『正則ニューナショナル第一リードル独案内』(出版・吉岡平助), 明治19(1886)年12月.
2.『正則ニューナショナル第二リードル独案内』(出版・吉岡平助), 明治19(1886)年12月.
3.『正則ニューナショナル第三リードル独案内』(壱・弐)(出版・吉岡平助), 明治20(1887)年7月.
4.『正則ニューナショナル第三リードル独案内』(合本)(出版・吉岡平助), 明治21(1887)年2月.
5.『正則ロングマンインファント独案内』(出版・吉岡平助), 明治20(1887)年7月.
・「ニューナショナル・リードル」とは、明治時代に最も広く用いられたと言われる教科書『ニュー・ナショナル・リーダーズ』(Barnes, Charles. New National Readers. Book 1 – Book 5.
Barnes & Co. 1883-1884.)米国の小学生用読本。翻刻版が多数あり。段階を追った教材配列を行い、最終的には長い文学作品を読めるようにすること、および(母語としての)英語の総合的な運用能力を高めることを目的とする。
・読本中に、これを用いる教師用の説明がほどこされている。
・ナショナル・リーダーは、「日本の青少年が外国を知る窓」「自然の山野田園を取り上げ、そこに愛と勤勉と正直という精神に満ちた人生が顕現することを理想としている。」(福原麟太郎『日本の英語』)
・「独案内」とは、独習書のこと。英語教科書中の全ての英文について、各英単語に発音・訳語を付し、漢文訓読式の解釈法が示されている。明治20年代に数多く出版された。
・森修一は、日本人学習者が困難を感じる点について特に解説を加えたり(例えば、原文中の省略箇所を補うなど)、英語の詩歌を和歌風に意訳するなど、独自の工夫が随所に見られる。
・以上の5点(ナショナル第三は分冊と合冊の2種類)は国立国会図書館が所蔵。特にナショナル読本独案内には多くの読者があったようで、増刷が続いたものと思われる。
・『正則ロングマンインファント独案内』の表紙は、『日本の英学100年 明治編』p.371に写真が掲載されている。
(国立国会図書館蔵)[リンク:近代デジタルライブラリー]
1.『正則ニューナショナル第一リードル独案内』校訂再版, 明治20(1887)年5月.[※庄]
2.『正則ニューナショナル第二リードル独案内』初版, 明治19(1886)年12月.[※庄]
3.『正則ニューナショナル第三リードル独案内 巻之壱』初版, 明治20(1887)年7月.[※大]
『正則ニューナショナル第三リードル独案内 巻之弐』初版, 明治20(1887)年7月.[※大]
4.『正則ニューナショナル第三リードル独案内』合本, 明治21(1887)年2月.[※大]
5.『正則ロングマンインファント独案内』初版, 明治20(1887)年7月.[※大]
(馬本の所蔵する版)[リンク:画像]
『正則ニューナショナル第一リードル独案内』校訂4版, 奥付なし.
『正則ニューナショナル第一リードル独案内』第35版, 明治33(1900)年9月.[※庄]
『正則ニューナショナル第二リードル独案内』第18版, 明治29(1896)年8月.[※庄]
『正則ニューナショナル第三リードル独案内』(合本)第5版, 明治23(1890)年10月.[※大]
『正則ニューナショナル第三リードル独案内』(合本)第6版,
明治28(1895)年6月.[※大]
※独案内の奥付には森修一氏の住所表示がある。
[庄]広島県三上郡庄原村171番地
ナショナル第一、第二(明治19年12月〜明治20年5月/明治29年8月〜明治33年9月の各版)
[大]大阪市北区玉江町一丁目26番に寄留
ナショナル第三(明治20年7月〜明治28年6月の各版)、ロングマン(明治20年7月)
◆参考文献
内山知也(2004)「蒲生重章の生涯と漢文小説 付年譜」『斯文』112: 1-26.
内山知也(2005)「講演 蒲生重章の漢文小説」『斯文』113: 77-81.
寺田芳徳(1999)『日本英学発達史の基礎研究(上・下)』(増補版)溪水社.